近年はカスタマーマーケティングという仕事が、マーケティング領域のトレンドとして注目されています。米国LinkedInが2022年1月に公表した「アメリカで急成長中の仕事トップ8[2022年版]」では「カスタマー・マーケティング・マネージャー」が浮上するなど求人も急増している模様です。
筆者の前職であるHubSpotの米国本社でも、数年前に複数のチームで分散していたカスタマーマーケティングを統括した「カスタマーマーケティングチーム」ができました。日本でも花王、サイボウズ社など「カスタマーマーケティング」に力を入れる企業が増えつつあります。
米国のSaaSプロバイダーInfluitive社が、世界7カ国200社のBtoB企業に調査した「2020 State of Customer MarketingReport」によると、約62%の企業が「過去12カ月間にカスタマー・マーケティングによって、中程度または大幅な収益向上があった」と回答しています。
また、93%が「カスタマーマーケティングを重要または非常に重要」と分類しています。収益を上げている企業の割合の高さを見ると、カスタマーマーケティングが非常に実効性のあるマーケティングだとわかります。
そこで本記事では、カスタマーマーケティングとは何か? カスタマーマーケティングの考え方、歴史、具体的な手法などを紹介します。
カスタマーマーケティングとは、「既存顧客に対するマーケティング活動」を指します。
以下は、米国Productmarketingallianceの定義です。
「カスタマー・マーケティングとは、現在のお客様を対象としたマーケティング活動やマーケティング・キャンペーンを指す言葉です。企業は顧客維持率の向上、解約の減少、顧客ロイヤルティの向上、ブランド・アドボカシー、コミュニティへの参加などを目的として、顧客マーケティング活動に多額の投資を行っています。(Productmarketingalliance.comより和訳)」
カスタマーマーケティングは比較的新しいトレンドワードなので、使用者によって定義に多少ばらつきが見られますが、概ねこの定義に近い内容が記載されています。
カスタマーマーケティングの定義を読むと、長くマーケティングに携わってきた方なら「リレーションシップマーケティングと同じでは? 」と感じるかもしれません。
正直、現状のカスタマーマーケティングの定義をすべて抱合しているので、今のところはカスタマーマーケティングとリレーションシップマーケティングの意味は、ほぼ同じと言えるでしょう(今後差異が大きくなることはありえますが)。
リレーションシップマーケティングとは、1980年代に提唱された、既存顧客との関係性にフォーカスしたマーケティングの概念及び手法です。
リレーションシップマーケティングとカスタマーマーケティングの歴史を、ざっとつなぎあわせてみると以下の流れです。
【1983年】
米国のLeonard L. Berryが「リレーションシップマーケティング」を提唱
【1980年代】
リレーションシップマーケティングの学術的研究が進み発展(アメリカン学派、欧州のIMPグループ、ノルディック学派等)し、ビジネス領域でもサービス業界を中心に、さまざまな企業で実践される。
【1990年半ば】
インターネットが世界に普及し始める
【2000年前後】
新しいビジネスモデル SaaSが登場。最初のSaaSベンダー、セールスフォース社は1999年設立。企業のCRMの導入が進むなか、米国で顧客のセグメントごとにマーケティング施策を実施するべきという「カスタマー・マーケティング・メソッド」が提唱される。
【2010年代】
SaaS業界で既存顧客をアシストする「カスタマーサクセス」導入企業が増加。
米国LinkedIn「最も有望な仕事2017」で「カスタマーサクセスマネジャー」が3位に。さらに、既存顧客に特化した「カスタマー マーケティング」という概念が普及し、カスタマーマーケティングチームを作る企業が増加。
【2020前後】
日本でも「インサイドセールス」「カスタマーサクセス」導入企業が増加。カスタマーマーケティングに取り組む企業が少しずつ出ている状況。
2022年、LinkedInの「アメリカで急成長中の仕事トップ8[2022年版]」で「カスタマー・マーケティング・マネージャー」が第3位に上昇。
リレーションシップマーケティングという概念は、1980年代にサービス業で生まれ、数々の研究が進められつつ、昔も今もビジネス領域で活用されています。
一方、2000年前後にSaaS業界が生まれ、CRMの普及に伴いCRMの活用実践手法としてカスタマーマーケティングという考え方が登場します。
あるいはSaaSベンダーでカスタマーサクセス部門の強化がリテンション・収益性の向上につながる事例が増加し、顧客維持の重要性がより認識されたことで、その延長線上に「カスタマーマーケティング」という考え方が出てきたのかもしれません。提唱者が正確にはわからないのですが、いずれにせよ注目されるようになりました。
このような背景から、カスタマーマーケティングの議論はSaaS業界で特に活発であり、内容も実践的です。実務上はどちらの定義から入っても問題ありません。ただ、知識を掘り下げたいとき、研究ではどのような知見があるのかをリサーチしたいときは、「リレーションシップマーケティング」で検索するとよいでしょう。
ここでは、カスタマーマーケティングの根本的な考え方を解説します。
前述のとおり、カスタマーマーケティングは、リレーションシップマーケティングの考え方がベースになっていると考えます。ただ、いずれも根底にあるのは「お客様との関係が大事」という商売の基本的な概念であり、企業の営業、マーケティング、開発、サポート部門などの活動すべてに、機能横断的に反映させるべきものです。
基本的な考え方は、既存顧客との関係性を重視し、良好なコミュニケーションを醸成し、顧客満足度や顧客エンゲージメントの向上を促進することで企業収益を最大化すること。また、顧客の製品・サービスに対する意見を開発や、サポート体制に反映させ、より顧客が満足する製品・サービスを提供するなど、WinWInの関係性を創り上げることです。
既存顧客に対するマーケティングに力を入れると、どのような成果が期待できるでしょうか? まず、既存顧客への販売の成功率は60~70%で、新規顧客への販売の成功率は5~20%と大きな差があります。
1:5の法則で知られるように、新規顧客の獲得には既存顧客の維持に比べて5倍のコストがかかると言われます。顧客維持率を5%向上させると利益は25〜95%増加するという調査データもあるほどです。
近年はビジネスのデジタル化、サブスクリプションモデルの登場、SNSやレビューサイトの隆盛、顧客の発信力の高まりなどにより、これまでよりもカスタマーマーケティングの成果が上がりやすくなっています。既存顧客のレビューの内容が、企業の発信するメッセージ(広告、営業マンのトーク)より、信頼され大きな影響があるからです。
SNSやレビューサイトに掲載された顧客のレビューが高評価なら、新規リードを生み出すきっかけになります。既存顧客の売上げアップだけでなく、製品・サービスのブランディング向上、顧客の意見をもとにした機能改善、リファラルによる新規開拓にもつながるのです。
カスタマーマーケティングの具体的な手法は以下のとおりです。
前述のInfluitive社の2017年の「State of Customer Marketing Report 」においては、「どのような活動が顧客マーケティングの基礎を形成しますか? 」の問いに対する回答は以下のとおりです。
(画像出典:influitive.com)
1位は「Customer reference/testimonials(顧客の声/体験談)」、2位が「Customer user group/events(ユーザーコミュニティ・イベント)」3位が「Newsletter(ニュースレター)」。
4位の「アドボカシーマーケティング」とは、企業や製品に対して忠誠心が最も高い状態の顧客(Advocate:アドボケイト、推奨者)に、積極的に発信の場を与えることです。
SNS、レビューサイトの評価が顧客の購買に大きな影響を与える昨今、アドボカシーマーケティングは有効な手段のひとつでしょう。しかし、最近tiktok社の事件がニュースになったように、そこに金銭が絡んでしまえばステルスマーケティング同様、日本で支持を得ることは難しいと考えます。
製品・サービスの品質を向上させて、顧客に価値ある情報を提供するなど、カスタマーマーケティングの基本に徹して、本物の支持者、推奨者を増やすことが大切です。その上で、推奨者が発信できる場を提供しましょう。
アクイジションマーケティング(Acquisition Marketing)とは、Acquisition=取得という意味なので、いわゆる顧客獲得に特化したマーケティング。簡単に言えば新規のリード創出〜契約までに力を入れる従来型のマーケティングです。
一方、カスタマーマーケティングは契約後の顧客に対するマーケティングです。
ファネルで説明すると、アクイジションマーケティングの考え方は左。カスタマーマーケティングの考え方は右のフライホイールが該当します。循環型なのです。
(参照元:フライホイール)
この違いは簡単に理解できると思います。
世の中には、「新規顧客獲得も既存顧客維持も両方とも大事」と考える企業が多数派です。SNSの影響力も、多くの企業が理解しているでしょう。
しかし、なぜか企業は既存顧客対象のマーケティングにあまり予算を投下しない傾向があります。
おそらく理由のひとつは、契約後の仕事は営業部門の管轄・売上げとなるため、マーケティング部門がノータッチになりやすいからだと考えます(それ以前にマーケティング部門がないケースも多々あります)。
さらに営業部門においては、一度契約した顧客へのフォロー・既存顧客からの売上げは「当然」とみなされる傾向があり、その上で新規開拓をせよという指令が飛ぶため(分業の場合は別ですが)、営業スタッフも新規開拓に目が向きがちです(営業担当者によってばらつきが生じます)。
既存顧客に対するマーケティング、既存顧客との関係強化は、どの企業にもお題目としてはあるものの優先順位の下位になりやすく、盲点になりやすいのです。結果、顧客離れが起きやすくなるのが、アクイジションマーケティングの残念なところです。
前述のようにさまざまな成果が期待できるカスタマーマーケティング。いろいろな手法があるので、できる施策からでも取り入れていくことをおすすめします。
カスタマーサクセスとは、「顧客が製品・サービスを使うことで成功すること(期待どおりの成果を得られること)」を支援することです。
カスタマーサクセス部門が適切に機能していると、顧客との信頼関係は深まりリテンション率は向上、アップセル、クロスセルの売上げも拡大し、顧客生涯価値(CLTV)が向上します。まさにカスタマーマーケティングの根幹を担う部門だと言えるでしょう。
現在、社内にカスタマーサクセス部門がある場合、マーケティング部門が行うカスタマーマーケティングと、どのように共存させればよいでしょうか?
前述のようにHubSpotは、マーケティングチーム内にカスタマーマーケティングチームを作りました。一方、カスタマーサクセスをハブにして、カスタマーマーケティングチームを作ることもできます。
チーム人数:2人(米国・インド)
チームの目的:
おもな活動:
立ち上げのステップ:
(参考:Gainsight)
すでにカスタマーマーケティングとカスタマーサクセスの両部門がある場合は、互いの役割分担やKPIを相互に理解し、SLAを導入するなど連携する工夫をしましょう。
指標例):
現状では、「カスタマーマーケティングチーム」を持っていない企業がほとんどかと思います。
筆者としては、結論から言えば新しいカスタマーマーケティングチームを作る場合は「現在、一番顧客の状況を理解しており、社内的に力がある部門」にカスタマーマーケティングチームをおき、マーケティングの基本がわかる人材をアサインすべきだと思います。
海外事例は参考になりますが、日本企業と欧米企業は組織構造が異なります。各部署に専門職がたくさんいるわけではありません。
日本はメンバーシップ型の企業が多く「人に仕事がついてまわる」カルチャーがあるため、対応できる力のある部門、人材を見出してアサインするほうが現実的です(仕事が増える場合はポジションなり給与を上げなければいけませんが)。
新しい組織を作るときは、それがカスタマーマーケティングであれ、セールスイネーブルメントであれ、日本企業の場合は現場からの支持が強くないとまずうまくいきません。欧米企業より現場が強い企業が多いのです。
なお、メンバーシップ型人事は近年批判されがちですが、スタートアップ、ベンチャー企業のように、社員が一人何役も期待される企業には大変適しています。
カスタマーマーケティングを、マーケティング部門内に作るのか、カスタマーサクセス部門をハブにするのかは、自社の現状の両部門のパワーバランス、成熟度合い、適任者が誰かを考慮して、現実的に決めましょう。
日本のマーケティングのトレンドは、米国の数年遅れと言われます。おそらく、これから2〜3年でIT業界を中心に、カスタマーマーケティングに力を入れる企業がますます増えるでしょう。
「カスタマーマーケティング」「カスタマーサクセスマーケティング」「顧客マーケティング」「リレーションシップマーケティング」と呼称はさまざまですが、本質は同じで「既存のお客様こそ大切にしましょう」ということです。
今の時代は、既存顧客との関係性にフォーカスしたマーケティングは、リテンションや既存顧客からの収益拡大だけでなく、ブランディングの向上・新規リードの創出につながります。
企業が本気でカスタマーマーケティングに注力し、既存顧客から強い支持を受けられれば、顧客は良いレビューを発信し、知人に製品・サービスを推奨し、ユーザーコミュニティで違う顧客に活用方法をアドバイスしてくれるでしょう。
単なる購買者ではなく、企業の広報、営業マン、ときにカスタマーサポートのようなことまでしてくれる大変ありがたいパートナーのような存在です。顧客の成功のために、惜しみなくサポートし続けましょう。