セールスフォース(Salesforce.com)社は、今でこそCRM(顧客関係管理)ツール業界の「巨人」とも言える存在ですが、かつて同社が業界内で「The ant at the picnic (食べこぼしに群がるアリ)」と呼ばれていたのはご存じでしょうか?
なぜ小さな「アリ」だったセールスフォース社が、Siebel社やOracle社といった当時の業界の巨人たちを押し退け、新たに業界のトップにまで上りつめることができたのでしょうか?
その要因のひとつには、同社が当時の当たり前であったソフトウェア買い切り方式から脱却し、サブスクリプション方式でのクラウドサービスという全く新しい市場、「ブルーオーシャン」を開拓したことにあります。
この記事では、セールスフォース社も実施し成功を収めた「ブルーオーシャン戦略」について、その意味や背景、メリットとデメリット、ブルーオーシャンを見つけるために役立つツールや、実際に成功を収めている企業の事例などを紹介します。
「ブルーオーシャン戦略(Blue Ocean Strategy)」とは、競争相手がいない、もしくは極端に少ない未開拓の市場 を新たに開拓するための経営戦略です。
大きな利益が得られることが明確である市場や、成熟しきっている市場には、その分すでに競争相手が多数存在します。競合がひしめき合う中、どの企業も自社の売上げを確保しようとお互いのシェアを奪い合う。このような競争の激しい既存市場は、海賊の世界に例え、争いで海が血で染まる「レッドオーシャン(赤い海)」と呼ばれます。
反対に、まだ誰も到達したことのない未開拓の海(市場)では、そもそも競争相手がいません。争いで海に血が流れることはなく、あたり一面は見渡す限り広がる自然のままの青い海。このように未開拓で無限の可能性がある市場は「ブルーオーシャン(青い海)」と呼ばれます。
ブルーオーシャン戦略では、自社が提供する製品やサービス、またそれらで顧客に与えることができる「価値」などを見直すことで、「レッドオーシャン」から可能な限り脱却し、競争相手が少ない「ブルーオーシャン」を切り開くことを目的としています。
「ブルーオーシャン戦略」は、フランスの世界トップレベルのビジネススクールであるINSEAD(欧州経営大学院)の教授であるW. Chan Kim(W・チャン・キム)氏とRenée Mauborgne(レネ・モボルニュ)氏によって2005年に著された本、『Blue Ocean Strategy: How to Create Uncontested Market Space and Make the Competition Irrelevant(和訳版 ブルー・オーシャン戦略)』で紹介され、世に広まりました。
本の『ブルー・オーシャン戦略』はすでに47ヶ国語で発行されており、各国の起業家や経営者を中心にビジネス戦略に革命を起こした「世紀のベストセラー」と称されています。もし、まだ読んでないという方は一度目を通してみるとよいかもしれません。
「レッドオーシャン戦略」とは、前述した通り多くの競争相手たちが血で血を洗う争いを繰り広げる「レッドオーシャン」に新たに参入し、その中で生き残ること、またはシェアを拡大することを目的とした経営戦略です。
このような競争の激しい既存市場で戦う企業は、未開拓の「ブルーオーシャン」を切り開いた企業とは全く違う経営戦略やマーケティング施策が必要となります。
「レッドオーシャン」では新しく需要を生み出すことは難しく、すでにある需要を様々なマーケティング施策を駆使しながら自社へ惹きつけるといった戦略が主です。市場が成熟しきっていることから、顧客が自らが製品やサービスに求めるものを明確に把握していることが多いため、革新的な機能などで明確な差別化をはかるのが難しくなっています。結果的に「低価格」と「高機能」のトレードオフに悩まされてしまうのが大きな特徴です。
(出典:Blue Ocean Strategy)
では、実際にブルーオーシャン戦略を取ることで、企業にはどのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか?
前述した通り、「ブルーオーシャン」は他の企業が参入していない、または非常に限られた企業のみが参入している未開拓の市場です。
(出典:CanStockPhoto)
競合他社がひしめき合う「レッドオーシャン」では、自ずと既存のシェア(パイ)の取り合いが発生します。そのような競争が激しい市場では、小規模な企業が業界の大規模企業を打ち倒し、シェアを奪うことは限りなく難しいことでしょう。特に、その業界での経験や知識が浅い新規参入企業であればなおさらです。
対して全く新しい需要を創出し「ブルーオーシャン」を開拓した場合には、「レッドオーシャン」のようなシェアの争奪戦が発生しません。競争相手のシェアを奪うことや、反対に競争相手に自社のシェアを奪われることを心配することなく、悠々と自社のみがありつける利益を回収することが可能となります。
このため、例え小規模の企業であっても「ブルーオーシャン」を開拓することができれば、競争相手とのシェア争奪によって中長期の売上げ見込みが左右されることなく、安定した売上げを長期的に継続して見込むことが可能です。
他に競合が存在しないとなれば、ブルーオーシャン戦略により最初に未開拓の市場を切り開いた企業は、様々な「先行者利益」にありつけます。先行者利益として大きなもののひとつが、自由な価格設定ができる、という点です。
それまで誰も提供していなかった製品やサービスを販売するという場合、当然ですが顧客側には自社製品以外に他に選ぶ選択肢はありません。つまり価格競争が発生しないのです。
もちろん顧客が納得する「適正価格」であることは必要ですが、先行して「ブルーオーシャン」に参入した企業は、競合他社の価格を気にすることなく、ある程度自社の采配で販売価格を設定できます。
先行者利益には、価格設定でのメリットに加え、業界の代名詞的なポジションを獲得できる、というものがあります。
「〇〇といえば△△」というイメージは、一度顧客に浸透すればなかなか払拭できるものではありません。例えば、「自動掃除機ならルンバ」「スマートフォンならiPhone」「家庭用ゲーム機ならファミコン」など、どれも今となってはさまざまな後発製品が出てきていますが、依然として業界で確立された地位を保っています。
また「ジェットスキー」はカワサキモータースが製造する水上オートバイのブランド名ですが、リリースされたときに消費者に与えたインパクトがあまりに強く、いまだに英語圏では「Jet ski」はカワサキ製以外を含めた水上オートバイの総称として使われています。
このように先行者利益により業界の代名詞的なポジションを獲得することができれば、のちに後発の企業が参入してきたとしても、長期的に安定したアドバンテージを享受することができるでしょう。
前項で紹介したレッドオーシャン戦略の特徴のひとつとして、「価値とコストのトレードオフ」というものがあります。
(出典:Blue Ocean Strategy)
「レッドオーシャン」では競合が多いため、顧客側も製品やサービスの選択肢を多く持ちます。たくさんの類似品がある中、同等のものであればできるだけ安価で買いたいと思うのは顧客側として自然なことですから、企業側には激しい価格競争が強いられます。
そのため「レッドオーシャン」にいる企業は、生産コストを下げすぎると顧客を満足させられない、逆に高品質なものを作りすぎるとコストがかさみ販売できない、といった具合に顧客へ提供する価値(Buyer value)と生産にかかるコスト(Relative cost)がどうしてもトレードオフとなってしまいます。(上図の赤線を参照)
しかし「ブルーオーシャン」では、価格競争がそもそも発生しません。新規に開拓した顧客の需要を満足させるのに最適な品質の製品やサービスを、適切なコストで制作することが可能です。ブルーオーシャン戦略では、上図の青点線のように、付加価値の最大化と生産コストの最小化を両立できます。
競合のいない理想的な未開拓市場を切り開くブルーオーシャン戦略は魅力的ですが、同時に企業にデメリットおよびリスクも与えます。そのひとつが、自社に適切なブルーオーシャンを見つけられない可能性がある、というものです。
顧客の新しい需要を満足させるためには、多くの場合革新的なアイデアやイノベーションが必要です。しかし新しいアイデアやイノベーションといっても、それらを思いつきさらに実行することは決して簡単なことではありません。
また仮に新しい製品やサービスのアイデアが浮かんだとしても、それが顧客にとってさほど必要ないものであれば意味がありません。
ブルーオーシャン戦略を成功させるためには、顧客が抱える課題の中で既存の製品やサービスで満足されていないものは何か、またそれらは企業として狙う価値のあるものかなど、事前に入念なマーケティングリサーチを行う必要があるでしょう。
企業が行えるマーケティングリサーチについては、当ブログのこちらの記事でも紹介しておりますので、ぜひご一読ください。
革新的な製品やサービスの開発に成功し、入念なマーケティングリサーチの結果、それが顧客に受け入れられる可能性が高いと踏んだとしても、ブルーオーシャン戦略が必ず成功するとは限りません。例えば参入が早期すぎる、というのもリスクになる可能性があります。
製品やサービスが時代を先取りしすぎていたり、あまりにもユニークすぎたりしてしまうと、顧客の理解が追いつかなかったり、使用するための環境が整っていなかったりすることが考えられます。
「Google Glass」や「セグウェイ」は、どちらも発表当初は「未来の道具」と反響を呼び、ユーザーの期待度も高いものでしたが、Google Glassはユーザーが使い所を見出すことができず自然消滅。セグウェイも日本においては法整備が整っておらず公道での使用ができずに販売が振るわず、2020年に生産終了となりました。
ブルーオーシャン戦略を成功させるためには、顧客を取り巻く環境などの外的要因についても詳しくリサーチを行う必要があるでしょう。
ブルーオーシャンを見つけることは決して簡単なことではなく、見つけるためにこれをしたらいいという決まった手順はありません。しかし、『ブルーオーシャン戦略』および著者によるウェブサイト「Blueoceanstrategy.com」には、ブルーオーシャンを見つけるのに役立つツールやフレームワークが掲載されていますので、以下に一部を紹介します。
ブルーオーシャンを見つける上で最も重要なことは、顧客の課題を正確に把握することです。
(出典:Forbes)
上図はブルーオーシャン及びレッドオーシャン戦略を図で表したもので、赤い部分がレッドオーシャン、青い部分がブルーオーシャンです。
レッドオーシャン戦略では、顧客の課題のうちすでに競合が満たしている領域(薄い赤の部分)に向かって自社の領域を伸ばしていきます(赤い矢印)。対してブルーオーシャン戦略では、競合がまだ手をつけていない領域に対して自社の領域を伸ばしていきます(青い矢印)。
このときに自社が狙うべき領域を決定するのに役立つのが「Consumer Problem Survey(顧客課題調査)」です。
(出典:Forbes)
上図は顧客課題調査の例として、一般的なネットユーザーが抱える課題を調査したデータです。
課題の上位は「衛生」「頭髪」「ダイエット」など、上位である分ユーザー数は多く大きな利益が見込めることがわかります。しかしその分競合が多くレッドオーシャンであることが容易に想像がつきます。
反対に、中間以降にある「資産運用」や「ローカルな公共交通機関」などの課題を抱えるユーザー数は比較的少なく、これらは大手競合の付加価値の優先順位から外れている可能性が考えられます。
顧客の課題のうち優先度が低いものであっても、調査の結果十分な利益が見込めるようであれば、自社が今後狙うべきブルーオーシャンになり得る可能性があります。
キム氏とモボルニュ氏は、下図のブルーオーシャン創造シークエンスに従って自社の製品やサービスのビジネスモデルを「付加価値」「価格」「コスト」「導入」の4つの観点から見直すことが、自社にとって適切なブルーオーシャン戦略を見出す上での手助けになると述べています。
(出典:Blue Ocean Strategy)
キム氏とモボルニュ氏は、企業が付加価値と生産コストのトレードオフの鎖を断ち切り、レッドオーシャンからブルーオーシャンへとシフトするためには、自社の業界における一般的な機能のうち、何かを「減らす」「取り除く」こと、そのうえで特定の機能を「増やす」「付け加える」ことが重要であると述べています。
この4つのアクションを行うために紹介されているのが「Four actions framework(4アクションフレームワーク)」です。このフレームワークでは、自社の製品やサービスに対して4つの観点から質問を問いかけることで、自社が創造できる新しい価値曲線や、そのために自社がとるべき戦略を分析します。
(出典:Blue Ocean Strategy)
『ブルーオーシャン戦略』が発表されたのは2005年のことですが、それ以前から独自にブルーオーシャン戦略で成功を収めている企業は数多く存在しました。
以下では、実際にブルーオーシャン戦略を取り入れて成功した企業の事例をまとめています。自社の経営戦略にも応用できる点が見つかるかもしれませんので、ぜひ参考にしてみてください。
(出典:Ford Motor Co.)
アメリカの自動車メーカーであるフォード(Ford Motor Co.)社は1908年、大衆向けとして「Model T」というモデルを発表しました。
当時はまだ自動車業界は未成熟で、500社ほどのメーカーが手作業・カスタムメイドで自動車を製造していた時代です。当然1台の自動車の価格は非常に高価で、一般市民には手が届かないものでした。また、手作業での製造だったため品質にもばらつきがあり、よく故障を起こしていたのです。
そのため自動車を買えるのは一部の富裕層のみで、大衆にとっての移動手段は昔ながらの馬車が主軸でした。
そんな中フォード社が発表したModel Tは、カラーバリエーションこそ1色しかありませんでしたが、大量生産により規格化・標準化された信頼のおける品質と、何よりも大衆層が手が届きやすい圧倒的な低価格が売りでした。
他の競合が当時全く相手にしていなかった大衆層に広く受け入れられたModel Tのシェアは、1908年の6%から1921年には61%まで急上昇し、その影響はアメリカの移動手段の主軸を馬車から自動車へとシフトさせてしまうほどでした。
(出典:engadget)
アップル(Apple Inc.)社がブルーオーシャン戦略により成功を収めたのは、「iTunes」による音楽ダウンロードサービスです。
2000年代初頭、アメリカではインターネットの急速な普及に伴い、音楽の違法ダウンロードが社会問題となっていました。この当時、ひと月に違法にダウンロードされる音楽は億単位にまで上ったそうです。
しかしアップル社は逆にこれに目をつけ、2003年に初の合法音楽ダウンロードフォーマットであるiTunesを発表したのです。
iTunesの直感的で扱いやすいユーザーインターフェースや、高音質な曲が手軽かつリーズナブルな価格でダウンロードできる点は、多くのユーザーに受け入れられることとなり、アップル社は結果的に何百万人ものユーザーを取り込むこととなりました。
(出典:Netflix: The Fandom)
3つ目の事例は2000年代の映画視聴サービスを大きく変えたネットフリックス(Netflix, Inc.)社です。ネットフリックス社はブルーオーシャン戦略により、大きく2回成功を収めています。
1997年に創業したネットフリックス社は翌年の1998年、当時主流であったビデオ・DVDの店舗でのレンタルサービスではなく、ウェブサイトによるDVDレンタルサービスを世界で初めて開始します。
オンラインでのDVDレンタルを思いついたのは、創業者がかつてビデオを店舗へ返却し忘れ、40ドルの延滞料金を支払った苦い経験がきっかけでした。
DVDレンタルを月額制にすることで、当時業界の「当たり前」となっていた延滞料金を「取り除く」ことに成功したサービスは画期的で、のちにウォルマートなどの大手企業が同様のサービスで参入してくるまで、DVDレンタル業界のシェアトップを走り続けることになります。
2回目の成功は、事業をDVDレンタルサービスからビデオ・オン・デマンド方式によるストリーミング配信サービスに以降したことです。月額のサブスクリプション制で映画が見放題というサービスが受け、2014年にはアメリカでのストリーミング配信市場において32.3%のシェアを獲得、全世界での会員数が5000万人を超えるという急成長を果たしました。
いかがでしたでしょうか? ブルーオーシャン戦略は、競争相手が少ない未開拓の市場で大きな利益を生み出せる無限の可能性を秘めた経営戦略です。
「自社が新しく参入しようとしている業界はどうやらレッドオーシャンかも」と感じている方、また「自社が置かれている環境がすでにレッドオーシャンだ」と嘆いている方は、今回紹介した内容を参考に少し方針を「ズラす」だけでもブルーオーシャンへのシフトは可能かもしれません。
ぜひ、自社の経営戦略に取り入れてみてください。