最近は、「社員ファースト」「従業員満足度なしで顧客満足度なし」というフレーズを耳にしたことがある人もいると思います。
現場で働くビジネスパーソンとしては「当たり前のことでは……」と思うかもしれません。しかし、社会通念上はあっても感覚的にしかわかっていなかったため、顧客満足度と従業員満足度のどちらが優先かについては、鶏が先か卵が先かというような論争が長らく続いていました。
本記事では、従業員満足度、顧客ロイヤルティ、生産性の関係性をモデル化した「サービスプロフィットチェーン」というフレームワークを紹介します。この理論は、特にサービス職種において従業員満足度の向上が収益拡大につながることを提唱し、近年、大きな話題を呼びました。
SaaS企業も、セールス、カスタマーサクセス、カスタマーサポートなどのサービス部門を持っているので、経営者や事業責任者、マーケティング担当者は、ぜひ理解しておきましょう。
サービスプロフィットチェーンとは、従業員満足度を、顧客ロイヤルティと収益性に結びつけるビジネスマネジメントのモデルです。
簡単に説明すると、従業員満足度が向上すれば顧客満足度も向上し、企業利益の拡大につながるという考え方であり、近江商人の三方良しに近いものがありますが、計測して定量的にマネジメントできるところが特徴です。
(出典:dreamstime)
上記の図をより細かく説明すると、以下の流れです。
サービスプロフィットチェーンは、1994 年に米国ハーバード ビジネス スクールのJames L. Heskett(以下、ジェームス・ヘスケット)氏、W. Earl Sasser(アール・サッサー)氏、および Leonard Schlesinger(レオナルド・スキレンジャー)氏によって提唱されました。
5年間にわたってアメリカンエキスプレス、サウスウエスト航空、Banc One、Waste Management、USAA、MBNA、Intuit、British Airways、Taco Bell、Fairfield Inns、Ritz-Carlton Hotelなど多数の企業を研究し、従業員満足度、顧客満足度、収益の関係性を実証した理論です。
1997年には、この内容が書籍『The Service Profit Chain 』として発売され、広く普及します。2冊目の『Value Profit chain』では、サービス業のみならずGE、ウォルマート、IBMなどの企業事例も紹介しています。なお、こちらは日本語版も出ています。
(出典:Amazon)
サービスプロフィットチェーンは、前述の3名の研究者以外にもいろいろな実証研究がされてきました。ここでは代表的な研究論文を紹介します。
研究者:J・L・ヘスケット T・O・ジョーンズ G・W・ラブマン W・E・サッサー L・A・シュレジンガー氏
内容:サービスプロフィットチェーンが、最初にハーバード・ビジネス・レビュー上で提唱されたときの論文であり、豊富な事例とともにサービスプロフィットチェーンの概念を説明しています。
5年間多数の企業を研究した結果、特に「利益」と「顧客ロイヤルティ」、「従業員ロイヤルティ」と「顧客ロイヤルティ」、「従業員満足度」と「顧客満足度」の関係性が強いことを明らかにしました。
英語論文なので、こちらをGoogle翻訳かDeepl翻訳で読んでください。
前半部分は日本語で公開されているので、こちらで読めます。
以下のように、印刷製本して郵送してもらうことも可能です。
(出典:bookparkサービス)
論文名:従業員満足度,顧客満足度,財務業績の関係―ホスピタリティ産業における検証
研究者:明治大学 経営学部専任教授 鈴木 研一氏、東北学院大学 経営学部専任教授 松岡 孝介氏
内容:日本の大学教授が6年間、日本のホテル業A社のデータを追って「従業員満足度と顧客満足度と財務業績の関係性」を検証した論文です。マーケティング論および組織論まで含めて幅広く先行研究をレビューしています。
論文の総論として、従業員満足度→サービスの質→顧客満足度→稼働可能客室当り粗利益との関係性を分析した結果、サービスプロフィットチェーンの妥当性を示しています。
海外でも1社の6年間のデータを収集した研究はないようなので、貴重な研究です。
ダウンロードはこちらから(無料)。
論文名:A Review Paper on SERVICE PROFIT CHAIN
研究者:Dr. Shahid Amin Bhat(シャヒード・アミン・バット)博士 - ITM University
(出典:https://www.researchgate.net/)
内容:この論文は、新たに実証実験を行っているわけではありませんが、これまでの数々のサービスプロフィットチェーンに関する先行研究を総合的に分析しているため、全体像を把握するのに非常に役立ちます。
初期のヘスケット氏らの論文の米国企業の研究はもちろん、英国、ニュージーランドの食品小売、スーパーマーケット、銀行、ホテルなどのほか、さまざまな実証研究をレビューしています。
研究によっては有意な結果を示さなかった例もありますが、多くはないため、総論としてサービスプロフィットチェーンの妥当性と、従業員満足度、顧客満足度、顧客ロイヤルティが収益性に与えるポジティブな影響を結論づけています。
ここでは、サービスプロフィットチェーンの事例を紹介します。
(出典:サウスウエスト航空HP)
サウスウエスト航空はヘスケット氏らの論文で紹介されている企業です。短距離路線にフォーカスし座席指定なし、ファーストクラスなし、機内食なし、航空券なし、格安運賃でありながら、高品質な顧客サービスを実現し急成長した企業です。
前CEOハーブ・ケルハー氏は「(従業員第一、顧客第二、株主第三)」を明言しており、現CEOも公式HPで社員を称賛しています(赤矢印の箇所)。日本語訳は以下です。
””私たちを私たちたらしめている最大のものは、私たちの社員であり、彼らが提供するユニークで比類のないホスピタリティです。サウスウエスト航空の社員ほど、サービスに対するハートを持った人はいない。誰一人として”
ボブ・ジョーダン、サウスウエスト航空最高経営責任者
サウスウエスト航空は顧客よりも、発展の原動力である信頼できる社員を上位に位置づけており、「従業員を満足させることで、従業員は自らが顧客に最高の満足を提供する」という経営哲学が特徴です。
実際、従業員を大切に扱うさまざまな施策があります。
(参考:『破天荒!!―サウスウエスト航空 驚愕の経営書籍名』-Amazon)
(出典:Tacobell)
ペプシコの子会社タコベルも、同じ最初の論文にサービスプロフィットチェーンを測定し戦略的に取り組んでいる企業として紹介されています。
具体的にはユニット、マネージャー、ゾーン、国ごとの日々の利益と顧客インタビューの結果から「顧客満足度評価の上位 4 分の 1 の店舗があらゆる点で他の店舗よりも優れている」ことを発見。これをもとに報酬制度を見直し、直営店の「管理者報酬の20%以上」を顧客満足度と結びつけ、さらに顧客満足度と利益を向上させました。
また、離職率が最も低い 20% の店舗が離職率が最も高い 20% の店舗より「売上が 2 倍、利益が 55% 高い」と発見。従業員満足プログラムを以下のようにアップデートしました。
(出典:セールスフォースジャパンHPの採用ページ)
2022年度の、PTWジャパン社の『働きがいのある会社』ランキング大規模部門No.1に選出されたセールスフォースジャパン。このような賞の常連です。米国本社もさまざまな同様の賞を受賞しており、同社はまさしくサービスプロフィットチェーンを体現していると言えるでしょう。
セールスフォースさんには優秀な営業マンが結集しているイメージがあります。さまざまな業界からトップクラスの営業マンが集まりながら、共通したセールスフォースのカルチャーも感じさせます。
出身者が「辞める理由が見当たらない」と語るほどの環境で、公式HPを見るだけで多様なサポートがありますが、従業員満足度が高いポイントとして以下があげられるでしょう。
すぐ真似できるものではありませんが、ひとつの理想形として参考になります。
サービスプロフィットチェーンを実践する際は「従業員満足度」と「顧客満足度」の向上を主軸に、「チェーン」を作っていくことを意識しましょう。
まず、従業員満足度を高めることは基本です。
従業員満足度を構成する要素は複数あるため、サーベイで自社の弱いところを確認し、かけているところを確認した上で、必要な施策を設計します。以下が施策の例です。
現場ではいろいろな予想外の事が起きますが、成長する企業は現場の社員が裁量権をもっており、素早く適切な判断をくだせます。企業のコアバリュー(価値観、行動規範)が理解されているため、現場が判断に迷わないためです。
企業理念をもとに、どのような行動、振る舞いが望ましいかの行動指針を浸透させる必要があります。現時点でコアバリューがない場合、コアバリュー作成プロジェクトなどを立ち上げ、自社の理念を深掘りしてみなで構築することが望ましいでしょう。
前述のように従業員満足度調査で働く環境をリサーチしたり、1on1ミーティングなどで生の意見を聴いたりするなど、今時点での従業員満足度を把握することは大切です。
また、従業員からの業務の改善提案に耳を傾ける仕組みを作ることも重要です。この仕組みがないと、現場の上長次第でフィードバックのしやすさに差ができ、中には何を経営層に言ってもムダという厭世的な雰囲気になるなど、現場がブラックボックス化しがちです。
顧客と面している現場の社員にとって、サービスが改善されプロダクトに自信を持てることは、仕事への誇りにつながります。サービスを共に作っている感覚も持てるでしょう。
スキルアップのためのトレーニングを実施し、社内キャリアアップの道を広げることが大切です。成長している実感が味わえたり、他の部署に異動できたりすれば、新天地を求めて離職せず会社で働き続けるモチベーションを持ちやすいでしょう。
SaaS企業であれば、カスタマーサポート、カスタマーサクセス、インサイドセールスなどがフィールドセールスのサポートという位置づけになりがちですが、上下の関係ではなく適性に合わせ移動できるフラットな横の関係性に近づけられると、スタッフのキャリアの幅が広がり、目標を持ちやすくなるでしょう。
サンクスカード、ピアボーナスなど同僚同士が感謝を伝え合う、褒めあう、チップを贈り合うなどの仕組みを導入する企業が増えています。メルカリ社の「メルチップ」の例。
人間は褒められると嬉しくなりモチベーションが上がります(脳では金銭をもらうときと同じ部位が反応)。社内の人間関係が生産性にも影響するという研究結果も古くからあります。
ルールではあっても感謝を表明することで、褒めた側は自分が誰のお世話になったかを自覚でき、褒められた側は承認された喜びを味わえるため、チームワークがよくなる可能性は高いでしょう。
逆に、例えばインサイドセールス部門が努力の末アポイントまでこぎつけた案件を「アポの質が悪い」と一蹴されれば、「営業力がないのでは……」と返したくなるのが人間です。負のサイクルになるのは簡単なので、意識して社内にポジティブな発言が出る仕組みを作るくらいでちょうどよいかと思います。
ここでは、サービスプロフィットチェーンの観点で、顧客満足度を高めるアプローチを紹介します。
顧客満足度を高めるためには、顧客の現在の満足度がどの程度かをまず把握する仕組みが必要です。ハインリッヒの法則で言われるように、ストレートにクレームを言って去る顧客のうしろには、その何倍もの不満を持った顧客がいます。
以下のような手法で、顧客からのフィードバックを集めて改善することが大切です。
とはいえ、多くの企業がいきなり100点満点のサービスを提供できることはまずありません。事業責任者やマーケティング責任者は、ホールプロダクトの概念をベースにサービス改善に取り組んでいきましょう。
ホールプロダクトとは、ベンダーが最初に提供するサービスと顧客が期待する水準にはギャップがあるので、段階的にサービスを向上させていく考え方です。サービスの完成度を4段階でとらえます。
段階的に、顧客が求めている価値とのギャップを解消し、満足してもらい、最終的には顧客の期待を超えることを目指します。サービスが進化し続けていれば、初期ステージであっても顧客は期待してくれるでしょう。
購入時だけでなく、時折感謝やお祝いのメッセージを表明したり、イベントへ招待したり、特典をプレゼントしたりなど、コミュニケーションを深めます。感謝されて嬉しいのは従業員も顧客も同じです。
サービスプロフィットチェーンは、あくまでチェーン(連鎖)で捉えることがポイントです。例えはよくありませんが、従業員満足度だけにフォーカスすると、もしかしたら昔の公務員のような生産性を考えない職場になるかもしれません。
一方、顧客満足度ばかりを追及し従業員をないがしろにすると、従業員は疲弊して高品質なサービスが提供できなくなり、ついには離職してしまうかもしれません。
サービスプロフィットチェーンの全体像をとらえて、ポジティブな影響が循環するように施策を設計することが大切です。また、各ポイントでサーベイを行いデータを把握し、PDCAを回しながらアップデートしていきましょう。全体像がわかっていれば、ボトルネックも突き止めやすいでしょう。
近年は、厚生労働省でも顧客満足度、従業員満足度両方を意識している企業の生産性が高いというデータを出しています。
セールスフォース社とForbes Insights社が行った、従業員体験(EX)、顧客体験(CX)と収益の関係性についてのレポートでは、「従業員体験を優先した企業は1.8倍の収益成長」を達成しています。顧客体験のみに焦点をあてた場合、収益増加と相関していかなかったそうです。
事業責任者の方であれば、現場スタッフの待遇、トレーニング、キャリアの選択肢、カルチャー醸成までふくめて従業員満足度を高めていければ、提供するサービスの品質が向上し売上げにつながることが期待できます。
マーケティング担当者であれば、良いリードを生み出すことを意識すれば、セールス部門の満足度が向上し、良い顧客が増え、売上げにつながっていきます。カスタマーサポート、カスタマーサクセスからのフィードバックを仕組み化すれば、マーケティング施策の精度を高めることができるでしょう。
シンプルであってもよいので、お互いの努力がポジティブに循環するような成功のサイクルを作っていきましょう。