SaaS業界で成功するためには、顧客の維持こそが大きなカギをにぎります。
設備、オフィス、何らかのコンサルティングなどの一般ビジネスであれば、お客様は購入後に多少の不満があっても、部門の予算を消化するという発想になり使い続けてくれるかもしれません。しかし、SaaS ならその気になれば翌月からでもサービスを解約やスイッチできます。
他業界より解約リスクがはるかに高いビジネスモデルなため、解約率(チャーンレート)は事業成長を予測する重要な指標。経営層はもちろん、投資家も常に注目します。
ゴールドマン・サックスのレポートで、解約率が 2% 減少すると、評価額は最大 20% 向上する可能性があると報告されているほどです。
本記事では、SaaS企業にとって解約率(チャーンレート)の本質は何か? 4種類の解約率とそれぞれの計算式、業界や規模ごとの解約率の平均・目安、解約率を下げるためのおすすめ施策などを紹介します。
解約率(チャーンレート)とは「ある特定の期間中にサービスを解約・離脱した顧客の割合」です。ある期間とは任意であり、1週間、1カ月、半年、1年など目的に応じて解約率を求めることができます。
SaaS業界では大きく分けると以下の2種類が活用されます(細かくは後述)。
解約率(チャーン)を出すことで、直近〜中長期の事業の成長予測を立てることができます。なお、顧客数ベースで出す解約率と収益(レベニュー)ベースで出す解約率のどちらが最適かはビジネスモデルによって異なります。
継続率(Retention Rate)とは「顧客が解約せずに取引を続けている割合」であり解約率と対をなすものです。ある期間の顧客解約率が5%なら、単純に顧客継続率は95%になります。計算式は以下のとおりです。
この2指標は、同じ事実についてそれぞれ異なる視点で捉えた数値を出していますが、いずれも事業予測において重要な指標です。また、異なるマーケティング施策や経営戦略の際に指標として活用できます。
例えば、解約率は顧客満足度だけでなく営業活動の方向性、オンボーディングの充実度を検証するのに役立ちます。一方、継続率の推移は顧客ロイヤリティの状態を示すため、顧客との関係性を深めるリテンションマーケティングやカスタマーサクセス業務の方向性に役立ちます。
ほとんどのビジネスモデルにおいて、新規顧客獲得と既存顧客の維持拡大は重要です。
しかし、解約が月次単位でも可能なSaaSビジネスは、特に解約率をいかに下げるかが事業成長に直結します。以下、具体的に説明します。
MRR(月次経常収益:Monthly Recurring Revenue)とは、「毎月繰り返し得られる収益」を確認するための指標です。SaaSビジネスのMRRは顧客平均単価×顧客数で計算するため、解約率が高いとMRRの数値が悪くなります。
以下は、解約率のMRR (月次経常収益) への影響を示した米国Forentrepreneurs.comのグラフです。このように長期にわたるとMRRに大きな影響を与えます。
(出典:Forentrepreneurs.com)
MRRは収益予測に使う指標であり、MRRが変化すれば収益予測も変化します。以下は、ZOHO社が提供する収益チャーンを計算して事業成長を予想するツールで出したグラフです。現在のMRR、増加した収益、期間を設定すると自動的に表示されます。
解約率が1%、2.5%、5%それぞれの予測を見ると、5%では横ばいであり2.5%だとゆるやかな成長と安定、1%になると大きな成長予測であることがわかります。
(出典:ZOHO.com)
「1:5の法則」として知られる昔からの経験則によると、新規顧客を獲得するには既存顧客を維持するよりも5 倍のコストがかかると言われます。
たしかに、新規顧客へのアプローチには、営業リスト作成、リード獲得までにかかるマーケティング費用、営業担当者の人件費ほか莫大な経費がかかっていることは、想像に難くないでしょう。
しかし、一度契約して順調に顧客との取引が継続していれば、営業コストはさほど上がりません。加えて新機能を追加で使ってもらったり、サービスをアップグレードしてもらったり、別の大きな案件をもらったりと売上げを伸ばし、収益を積み上げることができます。
ハーバード ビジネス スクールの2000年のレポート では、平均して 顧客維持率が5% 向上すると、利益が 25%〜 95% 増加するとしています。顧客維持率の5%向上=解約率の5%低下ということなので、いかに顧客解約率を下げるかが重要かわかります。
解約率の推移を把握すると、新たなプロダクトのニーズがわかることもあります。
例えば、競合他社から強力なツールが登場してから半年以内に解約率が高くなるのなら、乗り換えられた可能性が高く、その場合は競合にくらべて劣っている点を改善する必要があるでしょう。
法改正などの時期に解約が多い場合も同じで、新法に準拠しているサービスにおいて他社が優れている可能性があります。
製品やサービスを使い始めてから30日、60日までのチャーンは、オンボーイングに難があるのかもしれません。サポートできていない理由もありますが、UIがよくないなど操作性の問題もあるかもしれません。
解約率が高い原因をつきとめて真摯に対処することで、顧客の求めるサービスにバージョンアップしていくことができます。
解約率(チャーンレート)には、顧客数をベースに出すカスタマーチャーンレート、収益ベースで出すレベニューチャーンレートがあります。
さらに、レベニューチャーンレートにも種類があります。ここでは、代表的なSaaSの解約率(チャーンレート)の4種類と計算式をいくつか紹介します。
カスタマーチャーンレートとは、ある特定の期間中に契約を解約し離れていった顧客の割合です。
失われた顧客の数を、期間の開始時にいた顧客の合計数で割ります。次に、この数値に 100 を掛けて、割合を求めます。
計算する手順は次のとおりです。
カスタマーチャーンレートを計算するには、月次または年次など、特定の期間の開始時の顧客数と、その期間中に失った顧客数が必要です。例えば、月初めに1000 人の顧客がおり、月末に10人離脱していたケースを上記式にあてはめると、解約率は以下のように計算します。
レベニューチャーンレートは、特定の期間における顧客の解約(ダウングレードやキャンセル)によって企業が失った収益の額を、期間の初めの収益の合計額で割って計算します。
収益チャーンレートの計算式は以下のとおり。期間も任意です。
たとえば、期初に1000 万円の経常収益があり、期間中に解約により100万円の減収があった場合、以下のようになります。
ネットレベニューチャーンレートは、特定の期間の解約やダウングレードによって失われた収益から、期間中にアップグレードなどで新たに獲得した収益を差し引いて、期初の収益(前月末の収益)で割って出します。
ネットレベニューチャーンレートの計算式
たとえば、期初の収益が1000万円で、期間中に解約やダウングレード200万円相当の収益が失われたものの、同期間中に既存顧客のアップグレードで100万円収益がアップした場合、以下の計算となります。
[(200 – 100) / 1000] × 100 = 10%
グロスレベニューチャーンレートとは、サブスクリプションのキャンセルとダウングレードの両方によって失われた収益の合計です。
例えば、期間内の解約・ダウングレードによる損失額が20万円、前月の月次収益が100万円の場合、以下の計算となります。
(20÷100)×100=20%
※この4種類が代表的な解約率の出し方ですが、現実には「解約の定義」が企業によって違うなど、一律に比較しづらいところがあるので、各社の解約率を見る際は、その企業の解約率の計算式を確認しましょう。
解約率(チャーンレート)は、業界、企業規模、企業ステージによって平均・目安が異なります。ここでは、米国と日本のSaaSの解約率を統計から見てみます。
米国のSaaSの解約率
米国の複数の調査結果では、SaaS業界の平均解約率は約 5% であるようです。大規模な SaaS 企業の場合、平均解約率はさらに高くなる可能性があります。初期段階SaaS の平均解約率は約 5% で、「良好な」解約率は 3% 以下とみなされます。
Recurly Research(リカーリー・リサーチ)の2018年の調査によると、業種別での平均チャーンレートで、SaaSは4.79%です。
(出典:https://www.paddle.com/blog/saas-churn-rate#typical-churn-rate)
企業規模別でも統計が出ています。小規模企業になるほど解約率は高くなっています。
(Tomasz Tunguzのデータをもとにをもとに当社で作成)
日本のSaaS解約率
日本では、2023年にCSMツール『Fullstar(フルスタ)』を提供するクラウドサーカス株式会社が提供する、BtoBのカスタマーサクセス・サポートに従事する200名に対し調査した「カスタマーサクセス実態調査 第1弾(2023年版)」が出ています。以下が主要トピック。SaaSのチャーンレートは2.84%です。
(出典:Fullstar)
SaaSの解約率(チャーンレート)を削減するためのカギは何でしょうか?
米国のRetently.統計によると、顧客離れの原因の53%は、オンボーディングの不親切さ、コミュニケ―ションの少なさ、カスタマーサービスの貧弱さによるものです。
多くの企業は、まずこの領域の対策をすすめることで、SaaSの解約率を減少させることが可能でしょう。
(出典:https://www.retently.com/blog/three-leading-causes-churn/)
SaaS 業界において、カスタマーサクセスチームの存在は非常に重要です。
多くのお客様は、新しいツールを導入する際にセットアップや使い方に戸惑うことがあり、セルフサービスに不慣れな方も多いため、放置しておくとモチベーションが低下し、解約につながることがあります。SaaSについて自分で学びいろいろな機能を活用していけるユーザーは、おそらく一部でしょう。
カスタマーサクセス部門は、リアルな営業でいう既存顧客営業のポジションです。定期的にコンタクトをとり、課題を把握し、自社SaaSの活用方法を紹介するなど、よきパートナーとして関係性を深め、解約率を下げ、アップセル、クロスセルにより収益を高める役割を果たします。
末長い取引につながるだけでなく、その何割かは会社を支える大口顧客に発展していく可能性があるでしょう。
SaaS業界は、よくセールスコピーに直感的なUI、操作性に優れる、といった文章を使います。しかし大抵の場合、いざ新しいサービスを使おうとすると、セットアップの段階からすでに難しく感じてしまう人はおそらく少なくないでしょう。
他社と比較して相対的に操作性に優れていても、一般的なユーザーにとってSaaSは難しく感じられるサービスなので、何よりも最初のスタートを切ってもらうことが大切です。スタートダッシュができれば、SaaSを活用し続ける可能性が高まります。
前述のFullstarの調査でも、もっとも効果的なカスタマーサクセスの施策の1位に「オンボーディングプロセスの改善」という結果が出ています。導入した顧客が一歩ずつ階段を上って、継続してSaaSを使っていくようなオンボーディングプロセスを設計しましょう。
(出典:Fullstar)
オンボーディング設計のポイント:
顧客層によってオンボーディングの方向性も異なります。テックタッチ(人を介さないサポート)、ロータッチ(デジタルと人の両方でバランスよくサポート)、ハイタッチ(担当者によるきめ細やかにサポート)のどちらでいくか、オンボーディングの目標が何かを決めてから具体的なプランをたてましょう。
SaaS企業の顧客とのコミュニケーションで大切なのは、何よりも困ったときに迅速に対応したり、つまづきそうなポイントでフラストレーションを感じさせずにサポートしたりすることでしょう。いきなり起きるトラブルを解消しやすくするためにも、日頃から定期的にコミュニケーションをとっていることが大切です。
コミュニケーションアプローチには以下があります。
特にアンケートは、定量的・定性的なフィードバックを収集するのに役立ちます。どの顧客がサービスに不満を抱いているのかを特定し、その理由を確認できます。特定のタスクを完了したタイミングでNPSアンケートを送信すれば、顧客は経験についてすぐに率直なフィードバックを提供できるでしょう。
人間を経由するハートフルなアクション、効率的なデジタル上のコミュニケーションをバランスよく組み合わせることがポイントです。
キャンペーンや割引、ロイヤルティプログラムなど特別なものを提供することで、顧客に継続する理由を与えることも効果はあります。
商品・サービスがコモディティ化しやすい昨今、他社と差別化できることは小さなことでも実施しておくとよいでしょう。
相手に感謝や特別な対応を定期的に示すことができれば、良好な関係性が持続し、去る理由が少なくなります。
どのような有名企業であっても、ビジネスに解約はつきものであり、必ず発生します。
大切なのは、なぜ解約するのか? という理由をつきとめて、プロダクトやサービスの在り方を改善していくことです。
解約理由をつきとめる方法に、解約顧客にヒアリングするという方法があります。
解約する段階の顧客は一般にあまり協力的ではありませんが、直接教えてくれることもあります。
これまでの取引への感謝の言葉、フィードバックについてのお礼進呈などがあれば、真摯なメッセージを伝えてくれる元顧客もいるでしょう。辛口の意見であっても、その内容は役立つことが多いはずです。
方法:
カスタマーサクセスやインサイドセールスに聞き出してもらう方法もあります。顧客と付き合いの長い担当者であれば、去る理由を話してもらえるかもしれません。その内容が自社に役立つことはもちろん、真摯な対応によって顧客の印象が改善することもあるでしょう。
コミュニティは、顧客が集まって御社の製品やサービスについて話し合う場です。同じユーザーが何度も酷評しているなら、そのようなユーザーは解約のリスクが高いことがわかります。そのユーザーに同意するユーザーが多いなら、そこを改善することが解約率低下につながるかもしれません。
顧客は、コミュニティに慣れるにつれエンゲージメントも高まります。何か問題が起きたときに助けてくれる人たちがいるといないでは、離脱する可能性も変わるはずです。
ユーザーコミュニティは、Facebook、X(Twiiter)などSNS上で作ったり、専用プラットフォームを活用したりして作成できます。
例:コミュニティプラットフォームcommmune
(出典:commmune.jp)
解約理由には、カスタマーに親切でなかったなどの理由がよくあげられますが、根本的にプロダクトが満足されていない、商品力が弱いという理由につきることもあります。この場合、オンボーディングの設計、コミュニケーションの改善などは枝葉末節の部分にすぎず、プロダクトを見直すことが先決です。
昔、満足度が高かったサービスも新しいテクノロジーが参入してくれば、すぐ陳腐化する時代です。常に、顧客ニーズをキャッチアップする必要があります。
自社の客観的な評価は、今はレビューサイトなどがもっとも率直でしょう。競合他社と比較して使いにくくないか、高くないか、機能が劣っていないかなどについて、既存カスタマーのレビューをしっかり受け止め、不足しているところを改善し、喜ばれているところは今後も継続しましょう。
社内に、顧客の意見をプロダクトに反映する仕組みを構築することもポイントです。例えば、Amazonには顧客からのフィードバックがカスタマーサポートから社内にフィードバックされる仕組みがありますし、2年に一度、社員は数日間カスタマーサービス担当者になる研修があります。
何かしら、マーケター、開発者が現場に積極的に出ていける機会を作れるとよいでしょう。
ここでは、日本の有力SaaS3社が公表しているチャーンレートについて解説します。
(出典:株式会社マネーフォワード 2023年11月期 第3四半期決算説明資料)
株式会社マネーフォワードとは、法人・個人事業主向けのクラウド型サービスなどを提供するSaaS企業です。「クラウド会計」「クラウド請求書」「クラウド給与」「クラウド勤怠」「クラウドBox」など多様なサービスを提供しています。
マネーフォワード決算資料では、カスタマーチャーンレートとネットレベニューチャーンレートの2種類の解約率を公開しています。
解約率の定義は以下のとおり、決算資料に記載されています。
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カスタマーチャーンレートは、上図のように法人と個人事業主に分けて記載されています。
MRRベースの解約率(月次収益ベースの解約率)については、顧客数ベースでの解約による収益減少影響よりも、既存顧客へのアップセル/クロスセル等による増加収益が上回っており、数値は0以下となるネガティブチャーン状態になっています。
(出典:Sansan株式会社2024年5月期 第1四半期 決算説明資料、finan logme )
Sansan株式会社は、名刺管理サービス「Sansan」、インボイス管理サービス「Bill One」、契約データサービス「Contract One」などを提供するSaaS企業です。
2023年10月13日に、Sansan株式会社2024年5月期第1四半期決算の資料が公開され、サービスごとの月次平均解約率が記載されています。
SanSanの解約率の計算方法は決算資料によると以下のとおりで、グロスレベニューチャーンレートとして公開しています。
解約率:既存契約の月額課金額に占める、解約に伴い減少した月額課金額の割合 |
メインの2サービスであるSanSan、Bill One事業の直近12カ月平均月次解約率が出ていますが、いずれも継続して1%未満の低水準を維持しています。
株式会社スマレジとは、売上分析や高度な在庫管理など、小売業や飲食・サービス業の店舗運営の効率化を実現する小売店向けのクラウドPOSレジシステム「スマレジ」を提供しているSaaS企業です。決算資料で公開されている解約率の定義は以下のとおりです。
計算方法
解約率:MRRチャーンレート 既存顧客の月額利用料に占める解約により減少した月額利用料の割合 |
有料店舗数の堅調な増加によりMRRが拡大していることや、低解約率によりストック売上高の積上げ が実現しています。2024年4月期の解約率は0.52%、左側のグラフでわかるように、2021年の0.66%からも順調に下がっています。
2023年1月より新価格を適用したことが業績にほとんど影響していないことが、四半期ごとの解約率の推移をもとに説明されています。
SaaSビジネスにおいて安定的な収益を得るためには、何よりも解約率(チャーンレート)を下げ、既存顧客を維持しつつLTVを最大化することが重要です。
解約率(チャーンレート)には、カスタマーチャーンレート、レベニューチャーンレート、ネットレベニューチャーンレート、グロスレベニューチャーンレートなどがありますが、業界にルールがあるわけではなく、あくまで事業成長予測や事業の健全度合いを測る指標であるため、自社のビジネスモデルに適した指標を活用しましょう。
正しくチャーンレートを計算し、注視していれば顧客の満足度と自社の近未来が見えてくるはずです。