近年は、「モノからコトへ」という言葉がポピュラーになっているように、日本はサービス業中心の国になっています。GDPの約7割はサービス業。もっともこれは先進国の傾向であり、米国もEUも同じような状況です。
ところが、いまだ多くのマーケティングノウハウは製造業向けです。特に日本は技術立国といわれた時代が長くつづいたこともあり、マーケティングだけでなく、働き方そのものがかなり製造業的だと言えるでしょう。
SaaS企業のマーケターの方も、古典的なマーケティングフレームワークなどが「うちにはちょっとあてはまらない……」「サプライチェーンといっても全然違う」などと思ったことはないでしょうか?
実はIT業界、SaaS業界も大きなくくりではサービス業に入ります。何より、SaaSは「Software as a service」という名称であるように、サービスとしてソフトウェアを提供しています。
本記事では、サービスマーケティングについて解説します。サービス業のビジネスモデルの特性、知見、ノウハウを知ってマーケティングに取り入れていきましょう。
サービスマーケティングとは、サービス業およびビジネスモデル上何らかのサービスを提供する企業が行うマーケティング活動です。
サービス業がGDP比率で約7割と書きましたが、以下の図のようにサービス業といっても実に多種多彩であり、小売り、飲食をはじめ金融サービス、不動産、教育、ITサービスなどさまざまなビジネスモデルが存在します。
日本のGDP(業界別)
(出典:経済産業省)
しかし、サービス業には以下の共通の特性があります。
小売りのようにモノを売るケースもあるので「無形性」はすべてにあてはまりませんが、形のあるモノを提供するビジネスモデルとは違う上記の特徴を踏まえて、マーケティング活動を行う必要があります。
サービスマーケティングは、1980年代初頭から米国で研究され始めました。
1960年以降、米国で製造業よりもサービス業に従事する人の方が徐々に多くなっ てきたことが影響しています。サービスについて新しい定義がうまれ、製造業とは異なる視点のマーケティングが研究されるようになりました。
マーケティングミックス(4P)は、1960年代にうまれた有名なマーケティングフレームワークですが、1980年代になると4Pに「プロセス」「人」「物理的証拠」などの要素を加えた6P、7P、8P、9Pなどが、複数の研究者から提案されるようになりました。
このようにPの種類に異なるバージョンがあるのは、サービス業と一口にいってもさまざまなビジネスモデルが存在するからです。一般には7Pか8Pのフレームワークがよく活用されます。
2004 年になると、米国のマーケティング研究者Robert F. Lusch(ロバート・F・ラッシュ)氏とStephen L. Vargo(スティーブン・L・バー ゴ)氏によって、モノ(有形の商品)とサービス(無形の商品)を包括的にとらえる「サービス・ドミナント・ロジック」という概念が提唱されます。
これは、それまでの製品とサービスの区分けは人為的であり、本来「すべての経済活動はサービス活動である」とする考え方です。統一的なマーケティング理論を可能にするこの概念は、多方面から注目されました。
このように近年は、「モノづくりとサービスの融合」とも表現されますが、サービスマーケティングも、モノとサービスの2項対立的な考え方ではなくなりつつあります。
(参考:サービスマーケティング概要-文部科学省、中国経済産業局、Harvard Business Review)
(出典:Amazon)
こちらは、サービスマーケティング研究の第一人者、米国のChristopher Lovelock(クリストファー・ラブロック)氏が、研究の集大成として書き上げた本と言われています。
ラブロック氏は、エール大学のビジネス・スクール特任教授でMBAコースのサービス・マーケティングを担当していた人物なので、本にも多くの研究知見、事例がもりこまれています。
かなり分厚く網羅的ですべて一気に読むのは大変ですが、サービス業の現場にいる方やマーケターの方が、施策の実践の際に困ったらページをめくるような辞書的、教科書的な活用に適しているかと思います。
ネット上にはさまざまな知識、ノウハウがありますが、エビデンスがない記事も多くテーマごとに無数の記事があります。本書は、一冊でサービス業、サービスマーケティングについての正しい知識、ベースとなる研究知見、フレームワーク、マネジメントまで体系的に学べるまさに「原書」のような本です。
ここではモノとサービスの、マーケティングの違いを解説します。
マーケティングミックスの4Pは、もっとも基本のマーケティングミックスであり、商品・サービスを市場でたくさん売っていくために、以下の4要素を組み合わせて、戦略を立てます。
4Pの要素
しかし、サービス業の場合はこれに3つの要素を加えた7Pが活用されることが一般的です。
ほかに8P、9Pなどもあります。Pの要素もビジネスモデルによって異なります。基本の4P分析だけでは、甘い戦略になってしまうのがサービスマ―ティングなのです。
7Pの要素の例
サービスマーケティングは、購入したモノが形として残りません。サービスを享受している時間、その間の顧客体験が価値に換算されます。
サービスというものは、いかに標準化してもスタッフの個性(性格、スキル)と結びつき、その場の空気となって現れます。その場にいる他の顧客も雰囲気を作るサービスの一要素になります。
品質もモノのように、均一にはなかなかなりません。コンサルティングサービスなどは典型ですが、コンサルタント個人の知見、問題解決力はばらつきがあり、いかに同じ教育をしても多様性に富みます。そのため、人気コンサルタントはブランド化することもあります。知的なサービス、職人的なサービスになると、再現性が難しいところも特徴です。
サービスマーケティングとプロダクトマーケティングは、以下の図のように構成要素がかなり異なります(サービス業は多様なので、あくまで下記は典型的な例です)。
補足すると、近年はサービス・ドミナント・ロジックという概念がマーケティング領域に登場し、モノとサービスを分けず包括的に捉えるようになっています。一方、モノとサービスを切り分けて考える従来のマーケティングの概念を「グッズ・ドミナント・ロジック」と呼びます。
サービス・ドミナント・ロジックは、顧客と価値を共創する視点が強くなります。この新旧の考え方は、伝統的マーケティングvs.価値共創マーケティングという表現でも対比されます。
(出典:中国経済産業局)
サービス・ドミナント・ロジックは、BtoB製造業など現実の企業のビジネスモデルに適合することも多いと思います。SaaS企業も開発を行うビジネスモデルなので、サービス業と定義するより、サービス・ドミナント・ロジック的な思考で考えたほうが、しっくりくるのではないでしょうか。
BtoBの非サービス業であっても社内にサービス部門は存在しますし、営業部門の仕事もサービスを含んでいます。サービスマーケティングのノウハウを生かせる領域は多いでしょう。また、時代の流れを考慮してもサービスマーケティング的視点は必要です。
サブスクが普及しています。SaaS企業の方には言うまでもありません。10年ほど前までは大きなコストがかかる(ベンダーにとっては大きな売上げになる)オンプレミス開発にかわって、企業はクラウドサービスを好むようになりました。
製造業では、ブリヂストン社が運送会社に提供するタイヤのサブスクリプションなどがあります。物流ロボットのサブスクリプションをはじめ、業務用ロボットのサブスクリプションは増えています。
まだ、多くの事例は出ていませんが、「ビジネスモデルが成熟するにつれて、B2Bサブスクリプションは急成長分野に」という認識は海外でも日本でもされつつあるでしょう。
新しい市場が登場=事業拡張のチャンスが目の前にある、ということです。
製造業にまでサブスクが普及しているのは、顧客だけでなくメーカーにも以下のようなメリットがあるからです。
一方、継続して活用してもらうためには顧客満足度を追及することが必要です。地道にお客様の声を聞き商品・サービスをアップデートしていくことが求められます。売る前よりも売ったあとのアフターサービスの重要性が増すため、サービスレベルを向上させる必要が出てきます。
新しい商品・サービスのコモディティ化が速い現代、モノの品質だけでは差別化が難しくなっており、サービス領域で競争優位性を導き出すことも必要になっています。
サービス業には「サービスの花」と呼ばれるサービスコンセプトモデルがあります。簡単に説明すると「コアサービス+補完サービス」までトータルで価値と考えるコンセプトです。
(書籍『ラブロック&ウィルツのサービス・マーケティング』図3.6をもとに当社で作成)
BtoB企業も、取引の過程では以下のようにさまざまなサービスを提供しています。補完するサービスのクオリティによって、自社のブランドイメージ、プロダクトのブランドイメージは大きく変わってくるでしょう。
補完サービスの例:
サービス業は、経営の最大資源である人、モノ、金の中の「モノ」が存在しないビジネスモデルです。そうなると資金力以外の競争優位の源泉は「人材」です。
サービス業の多くは、従業員の満足度が顧客満足度に直結します。そして、顧客満足度は企業収益に影響します。
サービス業においては、スタッフもブランドの一部と考えられており、市場へのマーケティングだけでなくインターナル・マーケティング(internal marketing)も重視されます。
2020年に、米国SaaS大手のSalesforce社がForbes Insights社と協力して、エンプロイー・エクスペリエンス(従業員体験)、カスタマーエクスペリエンス(顧客体験)、収益の関係を調査した結果は以下の通りです。
日本の場合、近年は従業員エンゲージメントが低下しており先進国では最下位クラスなので(この点についてはサービス業も同様)、インターナルマーケティングについて真剣に考えることも大事でしょう。
ここでは、BtoB企業のサービスマーケティングの具体例を紹介します。
コロナ禍で非接触ニーズが高まったこともあり、日本の飲食業界で配膳ロボットの導入が少しづつ進んでいます。何社かサービスが出ていますが、テクノホライゾン株式会社が販売しているBella Botは、猫型のキャラクターで可愛さが際立っています。
プロモーションビデオを見るとSNSで拡散されることまで想定していることがわかります。BtoBとはいえ、顧客のエンドユーザーは一般消費者ということもあり、BtoCぽいサービスです。世界60ヶ国で導入されるほど人気で、AIを搭載しているなど、機能も充実しています。
サービス業ではスタッフもブランドの一部。ロボットもキャストと捉えているのは、サービスマーケティングの本質を押さえているからでしょう。このような「高機能」と「可愛い」を両立させたAI搭載サービスを作ったのが、中国のロボットメーカーPudu Robotics社というところに、中国メーカーの進化を実感させられます。
(出典:平成30年度モノ×コトづくりビジネス展開のための知財戦略調査 サービス・ドミナント・ロジック事業化事例集 - 中国経済産業局)
NSウエスト株式会社は、もともと自動車表示機器のBtoBメーカーでしたが、2014 年に新規事業の社内公募を行い、BtoC領域の新規事業として「スマートヘルメット」の事業に着手しました。
まず、社内外のオートバイ愛好者、広島県内のオートバイショップから徹底したヒアリングを行い、「ツーリングをより楽しむためのヘルメット」というコンセプトを立案しました。
このコンセプトは、モノは使われることで価値が生まれるというサービス・ドミナント・ロジックの考え方を体現しているとし、経済産業省中国経済産業局の事例に紹介されています。
開発にあたっては、日本を代表する世界的なヘルメットメーカー(株)SHOEIと提携。今後は、コネクテッド・モーターサイクルとして、スマートヘルメットとさまざまなデバイスをつなげて、新しい価値を共創する計画です。展示会でも話題を集めたスマートヘルメットは2022年に発売予定。※価格は15万円ほどを予定。
(出典:SmartHR)
SmartHRは、2021年に国内6社目のユニコーンとなったSaaS企業です。機能が優れていることはもちろん、当初からカスタマーサクセス部門に力を入れてきたことでも知られています。サービス利用継続率は99%以上と驚異的です。SmartHR社のカスタマーサクセスの特徴は以下のとおりです。
そのほか、お客様同士の労務コミュニティを提供しています。
SaaS企業がサービスマーケティングの要素を取り入れる場合、もっとも重要になるのは自社サービス部門(カスタマーサポート、カスタマーサクセス)になるでしょう。
また、オンライン接客という用語があるように、Webサイトの使い勝手なども重要。基本のタッチポイントを、顧客志向に徹してオペレーションすることはやはり大切です。
今や世界の先進国の主要産業はサービス業です。また、IoTによってさらに新たなサービスモデルが創造されていくでしょう。「モノのインターネット」「製造業のサービス化」とも呼ばれるこのメガトレンドは、BtoB非サービス業にとって脅威でもあり、ビジネスチャンスでもあります。
SaaSであればこのサービスマーケティングの考え方は取り入れるべきで、「People」「Process」は、社内文化やオペレーショナルエクセレンスを作り上げるための土台として捉えることもできます。
サービスマーケティングは、モノのマーケティングより顧客視点にたって考えられています。サービスマーケティングの知見を学ぶことで、自社のブランディングを再考することができるでしょう。
非サービス系のBtoB企業やSaaS企業も、サービスマーケティングを理解すると新しい視座で自社の強みを捉えなおすことができ、事業成長を加速できるかもしれません。